楽しみ
月一回精神科に通ってもう数年になります。スキゾイドかどうかは、俎上に上がることはないです。元々完全に別件で受診し、適切な証言さえ得られれば私は適応障害と考えられると診断されています。
現状では自由になるお金は無いので、検査は出来ません。別件の方が話が大き過ぎて、検査のお願いもしたことはありません。でも、別件が片付いて、お金に余裕が出来たら是非検査を受けたいと考えています。
スキゾイドかどうかの基準で、友人が極端に少ない(話が雑ですが更新の趣旨は別にあるので)と言うのがありますが、私の体感では、「友だちとは良いものと世の中ではなってるけど、思ってるよりも要らないんじゃないかなぁ」そんな感じです。
若い頃、「あ友だち要らんわ」と思って黙って携帯番号を変えたことがありました。でも、保育園から一緒の地元のその人にとっては、縁が切れるなんて現象に思いも至らなかった?のか、私の母と遭遇した時に新しい携帯番号を聞き出して私に連絡してきたんです。(母が、子どもの携帯番号くらいは暗記する人だったから)そこまでも拒否するほど縁を切りたかったほどの事でもないし、それ以降は無難に友だちをやっています。
精神科の主治医に「あ、友だち要らないな〜と思った事はあります。」と、その顛末を話した時の彼の目の光を覚えています。(あ、ホンモノスキゾイドかもな…)と勝手に読み解きました。
精神科の医師というのは、基本的にフラットに心身を置いて患者に相対しているように思います。冷静でいよう!いなければ!などと肩に力が入っているようでは務まらないのでしょう。人間が人間の話を1日数時間聞き続けるためには、自分の自然な感情をむしろありのままに内在させているように、数年間の通院で感じています。結構、素の感覚を隠してないんですよね。相槌、軽いのけぞり、じっと見つめるなどの僅かな行動とそのタイミングで、大まかな心理は微かに漏れ出ているように感じられます。もちろん思考までは読み取れませんが、驚き、注意を改めて払う瞬間などは分かります。
それで勝手に、(あ、ホンモノスキゾイドの可能性あるな)と思ったんじゃないかしら、と思っています。
そうなると、検査を受けたいな〜と思います。自分の命懸けの恋愛がどうしてこう言う経緯を辿ったのか、スキゾイドだとの確証があれば考えの参考になると思います。検査受けたいな、と、それだけの更新でした。